⇩歴史まとめページ
・更新:2025/2/26
※こちらは社会の情報に則り、自分なりに解釈して書いたものです。
ちなみに中小学校程度レベルです。多分。
間違い等ありましたら、コメントにてお願いします。
日本の歴史を、とりあえず簡略的にまとめます。
1.武士
1-1.進化・成長
武士とは、武官や豪族などの有力者が国の守り人になり、警備や犯罪をとりしまるようになる。

1000年ごろから武士の勢力が拡大していった。
まさに刀をもった、人間たちの武士の時代…!
拡大して、多すぎる結果、武士団の結成をした後、源氏と平氏ができた。
当時の武士団の構造(ギルド)
リーダー = 棟梁(とうりょう)
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幹部=惣領(そうりょう)
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メンバー=家子(子ども)、郎党
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雑兵=下人(げにん)
1-2.争い
935年~ タイラノマサカドの乱
朝廷は武士の力で反乱を治める→武士の力を認めざるおえない。
939年~ フジワラノスミトモの乱

こうして、野蛮であるが・・・武士の力は認められたのじゃった。
西の平氏、東の源氏
1051年~ 前九年の合戦 東日本、争いをしずめた源氏が勢力をのばす。
1083年~ 東北地方:平泉(岩手)を中心に奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)が勢力をのばす。
瀬戸内海の海賊。西日本:海賊をしずめた平氏が勢力を伸ばす。
2.荘園
荘園(私有地):地方にいる武士などが土地開発して貴族や寺社へ寄進。
農民から集めた年貢(コメなど)を荘園領主におさめる。代わりに土地支配の権利を認めてもらう。
→土地はお金持ちのものだから、農民たちは働いて米などの必要なものを渡しては、土地に住まわせてもらっている。
公領(荘園以外の公有地):国は地方にいるものなどに支配(管理)を任せた。
3.院政
3-1.院政とは
11世紀後半 藤原氏と外戚関係のない後三条天皇が即位
荘園を整理するなどの改革を行う
摂関家ではなく皇室中心の政治がふっかう
1086年、次の白河上皇が院生を始める。
院政:天皇が位をゆずり上皇となった後も、中心となって政治をおこなうこと。
白河上皇→鳥羽上皇→後白河上皇の三代 約100年間。
法皇:出家した上皇。
ストーリー
白河天皇「おい、鳥羽(とば)よ。お前に力をさすげよう。」
鳥羽「ははぁ、白河さま。」
白河上皇「これでお前も立派な天皇となったのだ・・!」
鳥羽天皇「ありがたき!」
白河上皇「引退の身だが、ワシも引き続き政治活動を行っていくぞ!」
鳥羽天皇「もちろんでございます!」
・・・数十年後
鳥羽天皇「後白河よ、ワシも年を取った。お前に力を授けよう」
後白河「よっしゃ!!」
鳥羽上皇「だが、まだワシも引き続きやるぞ」
後白河天皇「りょうかいっす」
白川上皇「まだ、ワシもおるで」
後白河天皇「おっし!心強いぜ!!」
3-2.武士の進出
土地をめぐる対立が増えた。有力な寺社は僧を武装させ僧兵とした。
上皇や摂関家は強訴を行う僧兵に対抗するために
平氏や源氏などの地方武士にとの警備などをさせた。
12世紀中ごろに鳥羽天皇が亡くなると、実権をめぐり皇室や摂関家の中で対立が激しくなり二つの内乱が起きた。
1156年 保元の乱(ほうげんのらん)
ストーリー
後白河天皇「兄者よ、そろそろ決着をつけようぞ。」
崇徳
続く