【歴史】2.日本の祖(未完)

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・更新:2025/2/26

中学生・小学生のこどもたちのために、わたくしめが歴史を歩む。

間違い等ありましたら、コメントにてお願いします。

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1.旧石器時代

なんでもじいさん

日本はかつて・・・1つの大陸として存在していたが!
時は進み、現在の島国となったのじゃ!

どうなってるの!?

知りたがり屋

なんでもじいさん

その前に、当時の暮らしを大まかに説明する。

打製石器を自分たちで作り、それを使って狩猟、採取を行っており
住むところは無く、岩、洞くつを使って移住生活を行っていたのじゃ
縄文人は野性的な野宿生活をしていた!
まさにモンスターハンターなのじゃ!

毎日キャンプ生活だね!

知りたがり屋
なんでもじいさん

な~に、獲物を捕れなかったら飯抜きじゃよ。
しかもずっと寒いし、常に命がけの生活じゃよ。
そういった生活に跡が残って遺跡となるのじゃ。
墓場みたいなものよ。

うぇ~楽しいことばかり考えてた~、大変だね。

知りたがり屋
なんでもじいさん

そして時が進み
氷河時代が終わりを迎え、氷が解けて海面が上がったのじゃ。
そのことから陸と陸の繋ぎ目が海となり1万年前ごろ
現在の日本列島の形となったのじゃ。

なるほど!そうして今の日本が島国になったんだね!!

知りたがり屋

2.縄文時代

なんでもじいさん

ネズミや、犬、猫のような。針葉樹から照葉、落葉樹などに変化して、気候に対応していくんじゃな。
なんとも素晴らしい自然界じゃ~。

人はどうだったの?変化あったの?

知りたがり屋
なんでもじいさん

もちろんじゃ!小さい動物が増えたことで、素早い動きに対応できなくてな、どうするか必死に考えたのじゃ。
あぁ、想像してみなさいな。こんな感じよ。






縄文人

縄文人A「ハァハァ、大きい獲物は打製石器でとりあえず力任せに叩いてきたが・・」

縄文人B「ハァ・・動きが速すぎて当てられん・・!なんなのだあの耳の長い獣は・・!」

縄文人
縄文人

賢そうな縄文人「あれはたったいまウサギ、と名付けたもう」

縄文人A「ウサギ?なるほど、ウサギか、いい響きだ。んで、あれはどう捕るのだ。教えろ!」

縄文人
縄文人

賢そうな縄文人「まぁおちつきなさい、動きの速いものは、それ以上の速さで仕留めなければならないのだ・・。
だかしかし、ワシらの動きではかなわん。なぜか?体の構造が違うのだよ。それに見た目もワシらよりも身軽だしのう。」

縄文人B「ではあれはほっといて良いのではないか?勝てないのだからな。」

縄文人
縄文人

縄文人A「バカをいうでない、もはや大型獣が減ってきており、食糧不足だ。あれをどうにかして食わねば、俺らに明日はない・・!」

賢そうな縄文人「1日ワシが考えてみせよう、とっておきを考える。」

縄文人

・・・




・・





日が明けた。

縄文人

縄文人A「おい!なにか考えたか!?」

賢そうな縄文人「これじゃ!」

縄文人
縄文人

縄文人B「なんだこれはハープか何かか?弦があるぞ?」

賢そうな縄文人「この棒を弦ではじく!」

縄文人

ザッザッザ・・!

矢は木に貫通した。

縄文人

縄文人A「な、なんじゃこれは!素晴らしいぞ!」

縄文人

縄文人B「これだ・・!早速捕りに行くぞ!」

なんでもじいさん

さぁこんな感じで、話は終わりぞ。
この時代に使っていたものを記しておくから、心して覚えるように!




縄文土器

縄目模様をしており、食物を煮たり炊いたりする時に使った。

貝塚

貝などを捨てたところが溜まりに溜まってできたもの。

たて穴式住居

地面に柱をたて、草などの屋根がついた家。持ち家の元祖じゃ。

土偶

土で作った人形。祈りやまじないの為に作られたとされる。
土偶を並びたて、守り神として使ったのかもしれぬな。
それは今でも、風習としてありそうじゃ。

3.弥生時代と邪馬台国

なんでもじいさん

紀元前500年頃、大陸から稲作が九州北部に伝わったのちに日本東まで広まった!
磨製石器の石ぼうちょうや鉄鎌で稲を採っていたのじゃ、採った稲は高床式倉庫という保管場所に溜めていた。

稲ってこんなに前からあったんだね!

知りたがり屋

弥生時代では土器が進化していった。
薄くて、かたく赤褐色。赤茶のような色をしており、貯蔵や煮炊き、盛り付けなどに使われた。

稲作とともに金属器、青銅器や鉄器が伝わる。

なんでもじいさん

青銅器▶銅剣、銅矛、どうたく、銅の鏡。祭器、宝器としてつかうもの

鉄器▶農具、工具、武具などじゃ。

3-1.クニ(小さい国)の形成。

なんでもじいさん

力で支配するのは縄文時代から変わらんぞい。

〇遺跡
静岡県にある登呂遺跡(とろいせき)▶集落の遺跡
佐賀県にある吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)▶小さい国の遺跡

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3-2.中国との交流

〇「漢書」地理志(かんじょ ちりし)に書かれていたこと
紀元前100年頃 日本は倭(わ)と呼ばれ100あまりの国に分かれる。

〇「後漢書」東夷伝(ごかんじょ とういでん)
紀元前100~200年頃
倭の奴国(わのなこく)が後漢に朝貢。
▶光武帝から「漢委奴国王」の金印を授けられる。
(簡単に言うと、日本が、中国の古代王朝に高価なものをあげては、見返りをもらった)

〇魏志倭人伝(ぎしわじんでん)
300年頃
邪馬台国の女王卑弥呼が魏(当時の中国の名)に朝貢
▶皇帝から「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と金印、銅鏡100枚などが授けられた。

4.ヤマト政権

大王を中心とした有力豪族の連合政権!

〇3世紀後半 奈良盆地を中心とする地域に王(豪族)たちからなるヤマト政権が現れる。

〇5世紀 ヤマト政権全体の王は大王(だいおう・おおきみ)と呼ばれ、私地私民制の地方分権体制により
九州の大半~東北の南部までを支配する。

〇氏姓制度を整備して発展 地方豪族の反乱も平定

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4-1.古墳時代

大王や豪族たちの大きな墓として古墳が作られた。

前方後円墳

古墳には石が、周囲に「はにわ」が並べられる。

ヤマト政権の勢力が拡大し、古墳が多く作られる。

3~7世紀までを古墳時代(大和時代)という。

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参考文献 : スタディサプリ 社会歴史 共通。

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