⇩歴史まとめページ
・更新:2025/2/26
中学生・小学生のこどもたちのために、わたくしめが歴史を歩む。
間違い等ありましたら、コメントにてお願いします。

1.旧石器時代
約2万年前 そこはまさに・・・絶零(絶対零度)の氷河時代!
現在の日本列島と大陸は陸地がずっと続いていた。
マンモス、ナウマンゾウ、オオツノジカなどの大型動物を追いもとめ
いつしか、日本の島々に移住する人々が多くいたのだった。

日本はかつて・・・1つの大陸として存在していたが!
時は進み、現在の島国となったのじゃ!
どうなってるの!?


その前に、当時の暮らしを大まかに説明する。
打製石器を自分たちで作り、それを使って狩猟、採取を行っており
住むところは無く、岩、洞くつを使って移住生活を行っていたのじゃ
縄文人は野性的な野宿生活をしていた!
まさにモンスターハンターなのじゃ!
毎日キャンプ生活だね!


な~に、獲物を捕れなかったら飯抜きじゃよ。
しかもずっと寒いし、常に命がけの生活じゃよ。
そういった生活に跡が残って遺跡となるのじゃ。
墓場みたいなものよ。
岩宿遺跡
群馬ではじめて発見された旧石器時代の遺跡!
野尻湖(長野県)ではナウマンゾウなどの化石が見つかったのだった。
うぇ~楽しいことばかり考えてた~、大変だね。


そして時が進み
氷河時代が終わりを迎え、氷が解けて海面が上がったのじゃ。
そのことから陸と陸の繋ぎ目が海となり1万年前ごろ
現在の日本列島の形となったのじゃ。
なるほど!そうして今の日本が島国になったんだね!!

2.縄文時代
1万数千年前から紀元前500年頃までの時代のこと。
氷河時代が終わり、地球が暖かくなってきた頃、その環境に対応するように動物や、植物の種類が変化していった。
大型動物が少なくなり・・・小、中型の動物が増えてきたのだった。

ネズミや、犬、猫のような。針葉樹から照葉、落葉樹などに変化して、気候に対応していくんじゃな。
なんとも素晴らしい自然界じゃ~。
人はどうだったの?変化あったの?


もちろんじゃ!小さい動物が増えたことで、素早い動きに対応できなくてな、どうするか必死に考えたのじゃ。
あぁ、想像してみなさいな。こんな感じよ。
⇩著者のイメージ⇩

縄文人A「ハァハァ、大きい獲物は打製石器でとりあえず力任せに叩いてきたが・・」
縄文人B「ハァ・・動きが速すぎて当てられん・・!なんなのだあの耳の長い獣は・・!」


賢そうな縄文人「あれはたったいまウサギ、と名付けたもう」
縄文人A「ウサギ?なるほど、ウサギか、いい響きだ。んで、あれはどう捕るのだ。教えろ!」


賢そうな縄文人「まぁおちつきなさい、動きの速いものは、それ以上の速さで仕留めなければならないのだ・・。
だかしかし、ワシらの動きではかなわん。なぜか?体の構造が違うのだよ。それに見た目もワシらよりも身軽だしのう。」
縄文人B「ではあれはほっといて良いのではないか?勝てないのだからな。」


縄文人A「バカをいうでない、もはや大型獣が減ってきており、食糧不足だ。あれをどうにかして食わねば、俺らに明日はない・・!」
賢そうな縄文人「1日ワシが考えてみせよう、とっておきを考える。」

・・・
・・
・
日が明けた。

縄文人A「おい!なにか考えたか!?」
賢そうな縄文人「これじゃ!」


縄文人B「なんだこれはハープか何かか?弦があるぞ?」
賢そうな縄文人「この棒を弦ではじく!」

ザッザッザ・・!
矢は木に貫通した。

縄文人A「な、なんじゃこれは!素晴らしいぞ!」

縄文人B「これだ・・!早速捕りに行くぞ!」
こうして、小さい動物が増えたことから、弓矢、磨製石器の使用で狩猟するのが主となった。

さぁこんな感じで、話は終わりぞ。
この時代に使っていたものを記しておくから、心して覚えるように!
縄文土器
縄目模様をしており、食物を煮たり炊いたりする時に使った。
貝塚
貝などを捨てたところが溜まりに溜まってできたもの。
たて穴式住居
地面に柱をたて、草などの屋根がついた家。持ち家の元祖じゃ。
土偶
土で作った人形。祈りやまじないの為に作られたとされる。
土偶を並びたて、守り神として使ったのかもしれぬな。
それは今でも、風習としてありそうじゃ。
東京の遺跡:大森貝塚
青森の遺跡:三内丸山遺跡
などが有名である。
3.弥生時代と邪馬台国

紀元前500年頃、大陸から稲作が九州北部に伝わったのちに日本東まで広まった!
磨製石器の石ぼうちょうや鉄鎌で稲を採っていたのじゃ、採った稲は高床式倉庫という保管場所に溜めていた。
稲ってこんなに前からあったんだね!

弥生時代では土器が進化していった。
薄くて、かたく赤褐色。赤茶のような色をしており、貯蔵や煮炊き、盛り付けなどに使われた。
稲作とともに金属器、青銅器や鉄器が伝わる。

青銅器▶銅剣、銅矛、どうたく、銅の鏡。祭器、宝器としてつかうもの
鉄器▶農具、工具、武具などじゃ。
3-1.クニ(小さい国)の形成。
たて穴式住居や高床倉庫などでムラ(集落)をつくり定住した。
集落同士が戦い、小さい国としてまとまった。
その結果、指導者が現れ、貧富の差が広がり、身分の差ができてしまった。

力で支配するのは縄文時代から変わらんぞい。
〇遺跡
静岡県にある登呂遺跡(とろいせき)▶集落の遺跡
佐賀県にある吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)▶小さい国の遺跡
3-2.中国との交流
〇「漢書」地理志(かんじょ ちりし)に書かれていたこと
紀元前100年頃 日本は倭(わ)と呼ばれ100あまりの国に分かれる。
〇「後漢書」東夷伝(ごかんじょ とういでん)
紀元前100~200年頃
倭の奴国(わのなこく)が後漢に朝貢。
▶光武帝から「漢委奴国王」の金印を授けられる。
(簡単に言うと、日本が、中国の古代王朝に高価なものをあげては、見返りをもらった)
〇魏志倭人伝(ぎしわじんでん)
300年頃
邪馬台国の女王卑弥呼が魏(当時の中国の名)に朝貢
▶皇帝から「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と金印、銅鏡100枚などが授けられた。
4.ヤマト政権
大王を中心とした有力豪族の連合政権!
〇3世紀後半 奈良盆地を中心とする地域に王(豪族)たちからなるヤマト政権が現れる。
〇5世紀 ヤマト政権全体の王は大王(だいおう・おおきみ)と呼ばれ、私地私民制の地方分権体制により
九州の大半~東北の南部までを支配する。
〇氏姓制度を整備して発展 地方豪族の反乱も平定
4-1.古墳時代
大王や豪族たちの大きな墓として古墳が作られた。
前方後円墳
古墳には石が、周囲に「はにわ」が並べられる。
ヤマト政権の勢力が拡大し、古墳が多く作られる。
3~7世紀までを古墳時代(大和時代)という。

参考文献 : スタディサプリ 社会歴史 共通。