【歴史の話】5.鎌倉幕府のこと

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スマホで記入してるときは装飾が大変なので申し訳ないですが殴り書きになります。

1183年 源頼朝(みなもとのよりとも)が東日本の支配を朝廷に認められる。

話の続きとして、力を付けた源氏、平氏であったけど

源氏のほうが上手で、制圧してしまったわけです。

じいさん

「源氏の棟梁(リーダー)でもある、よりともが力をつけ、東日本を自分の物にしたのじゃ」

1185年 守護、地頭の設置を朝廷に公認される。

守護 (軍事、警察) ▶国ごとに置く。

地頭(税の徴収など)▶荘園や公領ごとに置く。

地頭は土地の持ち主みたいなもので、土地を貸すからお金をよこせみたいな感じ。

力をどんどん付けていき、いよいよ

1192年 源頼朝が征夷大将軍になります。

僕が中学~の頃は語呂合わせで「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」なんて言ってたけど今はどうなんでしょ?

封建制度とはなにか?

将軍と御家人の関係性は「御恩と奉公」。

御家人が京都、鎌倉の警備や戦に参加する代わりに

領地を与えることで暮らしを与えていて

領地をもらって管理してる御家人はさらに農民らに

土地貸すから金(年貢)をよこせとしたんですね。

現在も同じように、土地を持っていれば、土地の税を払い、それを国で管理して、道路設備やらそういう暮らしに対して使われています。

よりともの死後、御家人による権力争いは起こる。

よりともの妻の

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