
STORY
村の朝は、いつも霧から始まる。
丸い塔の家々は、眠そうに霧の中に立っていた。まるで森から生まれたキノコのように、静かに息をしている。遠くの畑では、朝の風が草を揺らし、まだ誰も歩いていない道に細い光が差し込んでいた。
その道を、小さな旅人が歩いていた。
背中には大きな荷物。けれど中身は宝物ではない。旅人は「種」を集める人だった。森の精霊が残していった、不思議な植物の種だ。どこに植えると、どんな命が芽吹くのかは誰にもわからない。
旅人の隣には、一匹の小さな鹿がいた。角はまだ短く、瞳はまっすぐで、まるでこの世界の秘密を全部知っているような静かな目をしている。
「ここにしようか」
旅人はそう言って、村のはずれの柔らかい土にしゃがみ込んだ。
スコップは使わない。手で土を掘る。土の温かさを感じながら、小さな穴を作る。そこに丸い種をひとつ、そっと置いた。
鹿が鼻を近づける。
「大丈夫。きっと何か生まれる」
旅人は笑った。
種はすぐには芽を出さない。もしかしたら一年後かもしれない。十年後かもしれない。それでもいい。旅人の仕事は「植えること」だからだ。
遠くで村人がこちらを見ていた。
何をしているのか、不思議そうに。
けれど旅人は気にしない。
この世界には、まだ見たことのない森が生まれる場所がたくさんある。
まだ名前のない花も、誰も知らない精霊も、きっと土の中で眠っている。
旅人は立ち上がり、鹿の背中を軽く叩いた。
「さあ、次の場所へ行こう」
霧の向こうには、まだ描かれていない世界が広がっている。